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「ここをベイオブアイランズと名付けよう。」、イギリス人の探検家キャプテンジェームスクックが帆船エンデバー号でこの地を訪れたのは、1769年、海岸沿いに赤いポフツカワの花の咲き乱れる11月下旬のことでした。おそらくクックは見たままの風景を地図に書き記したのでしょう。そのときすでにここには先住民族のマオリが住んでいました。エンデバー号のような大きな船を見るのは遥か昔にフランス人の探検家デュフレセンが訪れて以来のことでした。フレセンはマオリとの折り合いがうまくいかず、悲惨なことに最後には殺害され食べられてしまいますが、それに反しクックとマオリとの対面はとても和やかに行われました。 エンデバー号の乗組員の一人はベイオブアイランズのことを、こう書き残しています。「ここは本当に美しい湾だ。湾だけではなく、湾を囲むなだらかな丘、入り組んだ渓谷、穏やかな入り江、そして森林や畑もすべて美しい。」 その後この話はイギリス、ヨーロッパ各地に広まり、宣教師をはじめたくさんの移民が新しい楽園を目指しこの地に上陸します。そして1840年にはイギリスとマオリの総長達との間でワイタンギ条約が結ばれ、事実上ニュージーランドはイギリスの植民地となります。 しかしワイタンギ条約は全ての人たちにとって平等なものではなく、人々の間で争いごとが多発し、ついにはマオリの総長のひとりホネヘケが、コロラレカの丘に立つイギリスの国旗を切り倒してしまいます。首都はオークランドに移され、その後の約20年間は戦争の繰り返しで、ベイオブアイランズはだんだんと落ちぶれていきます。 そのベイオブアイランズを再び有名にしたのが、アメリカの人気小説家ゼーングレイでした。グレイは1926年ベイオブアイランズを拠点にゲームフィシングに出かけ、記録的な大きなカジキマグロを捕らえました。その噂は世界中に広まり、各国から釣り好きな人々が集まるようになり、ベイオブアイランズを釣りのメッカとして不動のものとしました。 現在ではベイオブアイランズ地域のほとんどは国立海洋歴史公園に指定され、釣りだけではなく、クルーズ、セーリング、スキューバダイビング、カヤック、イルカと泳ぐツアーなど子供から大人まで誰もが楽しめるマリンリゾートとして知られています。 時間は流れたものの、ベイオブアイランズの美しさは今もクックの時代と変わりなく残され、そしてそこに住む人々の手によって大切に守られています。 ベイオブアイランズの町: ワイタンギ | オプア | ラッセル | パイヒア | ケリケリ
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